【濱下くんの通塾履歴】
呉市立昭和西小⇒呉市立昭和北中⇒私立「城北高校」進学
※広大附属中学・広島学院中学・修道中学【全敗】※高校入試で再び広大附属高校・修道高校…
小4~高3:鷗州塾「焼山校」「広島校」通塾
国立「佐賀大学」経済学部 経済システム学科“現役合格”⇒進学
※昨年(2013年)、生徒の成績向上・合格実績・生徒からの支持率等の「1年間の取り組み」で“232校舎”ある鷗州塾・進学ゼミWINを担当する校舎長の中から【No.1】として表彰を受ける。
【4月の表彰式にて】インタビュー実施の峰先生と表彰状を手に(左) 表彰式でのスピーチ(右)
先生:濱ちゃん、ビッグになったねぇ(笑顔)
濱下:はい先生、実は今、体重が80キロ越えました…(笑い)
先生:えっ!先生より身長は7センチ低いのに、体重は17キロも重いじゃん!!! 成長したねぇ…。体重が80キロ越えたことは書かないでおくけぇ(笑顔)
濱下:先生、そこはぜひお願いします!(笑顔)
先生:ところで濱ちゃんは、なんで鷗州塾に来てくれたん?
濱下:小3まで公●教室に行ってたんですが、仲が良かった友達が鷗州塾に入るって聞いて、僕も入りました。
先生:まじめに勉強してくれてたねぇ(笑い)
濱下:はい…、お見通しの通り、塾には行ってましたが、宿題はまったくしていませんでした…。なので原●先生によく叱られました…。答えを写していたのも、すべてばれていました…。当時はなんでわかるんだろうと思ってましたが、今、先生になって、そんなこと、すぐばれることがよく分かりました。取り組む姿勢ってすぐ分かりますよね。真剣かどうかも…。叱っていただいて、感謝しています。
先生:なんで中学受験したん?
濱下:僕は小学校の成績はとても良かったんです。それで6年生の時は、小6Gクラスという中学受験のクラスにいました。周りの友達が受験するので、「僕も受けてみようかなぁ」と、「修道中学とか行けたらかっこいいなぁ」とか、「修道に行ったらモテるだろうなぁ」とか、よく妄想していました(笑顔)。なので、小6の時は心を入れ替え、けっこう勉強していました。深夜の1時くらいまで4、5時間することが多かったですねぇ。
先生:ふんふん
濱下:で、結果は先生のご存じの通り、中学入試は全敗でした。塾内模試の結果も合格可能性が良かった時もあり、友達も合格したりで、すごいショックでした…。
先生:うんうん
濱下:母は落ち込んでいました。僕も最初は落ち込みました。が、父が一言、「お前の人生じゃけぇ、今から頑張ればいいんよ」って言ってくれて、それから立ち直ることができたと思います。
先生:なんで中学の時も鷗州塾に来てくれたん?
濱下:鷗州塾が好きだったんです。だから当たり前に。それと「頑張って先生たちの期待に応えたい」と思いました(笑顔)
先生:中学の時の成績は、よく□□先生・△△先生(このインタビューをした峰先生の鷗州塾での教え子。その後2人とも鷗州塾で教師となり、濱下くんを中学の時に担当)から聞いてたよ。頑張ったねぇ!(笑顔)
濱下:はい。塾に行くのも好きだったし、塾の仲間も好きで雰囲気も良かったんで、勉強が苦痛でなくなりました。なので、通知表は10段階でほぼ全教科10でした。定期試験も5教科で500点満点中450点は必ず取っていました。塾内模試は当時150点満点でしたが、理科は150点の満点で鷗州全校で一位になったことが3回あります。クラブも頑張ったので、テニス部で呉市のベスト4くらいだったと思います(笑顔)
先生:高校受験はどうじゃった?(笑顔)
濱下:再び、広大附属高校・修道高校は不合格でした…。広島学院は、高校入試がなかったです…。城北高校に進学しました。
先生:城北高校は…たしか…。
濱下:はい先生、補欠で合格しました。
先生:公立の呉三津田高校の受験を考えんかったん???
濱下:両親や学校の先生と相談しながら、早くに受験を終わらせたかったのと、「広島市内に行きたい!」という気持ちが強かったので、城北高校へ進学しました。
先生:たしか濱ちゃんは、都会にあこがれていたよねぇ。なんで高校でも鷗州に来てくれたん?
濱下:鷗州が好きでした!(笑顔)合格実績もすごく良かったじゃないですか!クラスに話しに来てくれた先輩が、すごい大学に合格するのを目の当たりにしてたじゃないですか。だから何か当たり前でした。高1が一番大切なことも理解してたんで。
先生:鷗州の高校部では、“難関クラス”にいたねぇ(笑顔)
濱下:はい、先生。高1の時は、気合いも入ってました!最初のころは、全国模試の結果も良かったんです…。
[高1のころの「全国模試」の結果]※高1のころの「全国模試」の結果は、数英国とも全国平均から大きく上回り、数学は94点で、“なんと”偏差値70越え(決して体重ではありません)!
先生:すごかったよねぇ(笑顔)
濱下:はい!…ところが先生もご存じの通り…慣れて油断し、なめてしまって…。それにバンド活動も始めたりして…。
先生:(笑顔)当時は首があったよねぇ…(笑顔)。高2から大失速したねぇ…。
[高2時の模試]濱下:高2の時は好きで得意だった数学で29点を取り、高3になるころには…
先生:たしか、ひとけただったよねぇ…。100点満点で…。
濱下:はい…。数学は5点、物理6点、化学13点…。英語も…。
高3時の成績
先生:そういえば高2の時に、K山さんに…
濱下:はい、先生。見事に ふ ら れ ま し た …
先生:そうよねぇ…。K山さんと一緒に通学してたねぇ…。
濱下:ふられた時に、この世の終わり…だと思いました…。夜中じゅう音楽を聴いてたり、わけもなく河原を走って絶叫したり…。気をまぎらわしたくて、つらさから逃げたくて…。高3までずっとひきずっていました…。
先生:うんうん
濱下:高3からは、さすがに“やばい”と思って本気で勉強しました。あの時が人生で一番勉強したと思います。塾の授業に週3日、夏休みからは4日通い、7講座受講していました。塾の授業がない時も自習室に行っていたので、日曜以外は塾にいました。
先生:都会にあこがれていた濱ちゃんは、横浜国大を狙っていたよねぇ…。
濱下:はい。広大も意識していました。ところが高3から真剣になっても間に合わなかったんです。センター試験で合格基準点に5教科合計で80点足りませんでした…。それで学費のこともあって国立大学へ進学したかったので、二次試験は佐賀大学を受験し、合格したので進学しました。
先生:うんうん
濱下:合格した時に“やったー!!!”という感じではありませんでした…。でも、父は喜んでくれました。そして「これがおまえの力じゃけぇ、佐賀大学へ胸を張って行け!」って。その言葉の調子がとても優しくて、自分を認めてくれているのを感じて、ありがたかったです。
先生:うんうん。でも、大学で再び本領発揮!(笑い)
濱下:はい…おっしゃる通りです…。大学で一人暮らしを始めて、ぐーたらで自堕落な生活を送りました。もちろん最初はまじめに学校に行き、授業の復習をし…、でも大学1年の終わりごろには、昼過ぎまで寝てて、そのまま大学へ行かずにアルバイトに行き、友達とつるんで遊びまくって…。要領よく大学の年2回の試験だけはぎりぎりクリアーし、4年生までは進級しました。
先生:大学の勉強が好きじゃけぇ、4年生を3回くらいやったねぇ(笑顔)
濱下:大学4年になり、将来のことを決めないといけない時に迷いだし、分かならくなり、流通業界に就職先も決まっていたのに、「自分がやりたいことは本当にこれなんだろうか???」と悩み始め、そうこうしているうちに2教科分の単位が卒業するのに足らなくなり、卒業論文も投げ出し、それで卒業できず、できないと分かった時から“1年間まったく大学に行かなく”なり、その間は大阪と東京の友達の家に転がりこんで、日雇いの建設の仕事やコンビニとか、さまざまなアルバイトをしながら生活していました…。
先生:お父さん・お母さんは?
濱下:内緒にしていたんですが、ばれました…。じいちゃん、ばあちゃん、親戚のおじさんにも…。「バカじゃないんか、紀亮!!! お前は何考えとんじゃ!」って、ぶち怒られました…
先生:うんうん
濱下:それで、今までになく無気力な自分であったことに気づいたんです。なりたくない自分になっていました…。自分はいったい何をしたいのか?考えて考えて、でも分かならくて…。
先生:うんうん(笑顔)
濱下:奮起し大学へ戻り、生活費を得るため、佐賀でアルバイトを再び始めました。佐賀って街じゃないんで、大学生のアルバイトの募集は家庭教師が多かったんです。それで教え始め、工夫して教えると「分かった!」って笑顔で喜んでくれて、“こんな自分が人の役に立ってるんだ”ってすごく実感して、気づいたら塾で先生たちに習った教え方で笑いをとったり、担当した生徒の成績が上がって喜んでくれたり、教えることで、自分がどんどん元気になれたんです(笑顔)
先生:うんうん(笑顔)
濱下:先に就職していた同級生に会うと、自然に担当している生徒の話を始めていて、そうしたら「なんかイキイキしとうねぇ。先生が向いとっちゃろ(笑顔)」って言われて。僕にとっては、先生といえば【塾の先生】で、友達に「濱下は先生に向いている」って言われたら、もう鷗州塾のことしか考えられなくなって、それで就職試験は、鷗州だけ受けました!
先生:入社試験“狭き門を”合格したねぇ!!!(笑顔)
濱下:入社試験の“模擬授業”は、完全に先生たちを意識していました(笑い)
先生:ご両親は喜ばれたじゃろ?
濱下:何よりも僕が嬉しそうにしているのが、嬉しかったみたいです。「あんたが世話になった鷗州に恩返ししんさい!あんたがしてもらったことを、今度はあんたが生徒さんにしてあげんさい!」って喜んでくれました。「絶対にそうする!」って強く思いました!
先生:入社してから3年間、迷いあげたねぇ…(笑顔)
濱下:空回りしていました…。勉強することを押し付けたり、力で引っ張ろうとしたり…。だから、その時の生徒たちには申し訳ないです…。先生に相談に行った時に「生徒が生徒をヤル気にさせてくれるんよ。濱ちゃんがヤル気にさせるんじゃないでぇ。それと一人ひとりに興味を持ち話をよく聞き、内にあるヤル気を引き出す手伝いをしてあげんさい(笑顔)」って。“そうじゃ、僕はそれを目指しとったんじゃ!”って。「濱ちゃんがやっていることが正しければ、必ずNo.1になれる。生徒にNo.1を取らせてもらえる。濱下クラスの代表で濱ちゃんが生徒たちを代表してNo.1になるんよ。だから素晴らしい生徒を担当させてもらっていることを本当に感謝しているなら、一番を取りんさい!」って…。ここに先生の言葉を書き留めていて、よく見返しとるんです。
先生:授業準備や構想も、よく頑張ってくれたねぇ。生徒の面倒もよく見てくれてるよねぇ(笑顔)。遅くまで準備しよるじゃろ?
濱下:先生、まだまだです。やっぱり次の日の授業は気になるんで、気づくと夜中の2時・3時になっていて、朝も9時くらいに“ぱっ!”と目が覚め、「ここはこうつなげて説明しよう」とか、「ここで印象づけるために間をあけよう」とか、問題と問題の間で言うセリフとかをテキストに書き込み、授業の構想を練っています!
先生:うんうん(笑顔)
濱下:自分の失敗や初心を忘れてはいけないと思うんです。最初の数年間思うようにならなかった時、自分に腹が立っていました。自分の追い求める理想と違うので…。それがあったからこそ、足りないことをひとつずつ補い、説明の順番・強調の仕方・シンプルな伝え方等を常に研究し、家でぶつぶつ声を出して授業をし、そういうことを続けていく中で、少しずつ自信がついてきました。
先生:うんうん(笑顔)
濱下:先生、僕は生徒に育てられているんです(笑顔)
先生:うんうん(笑顔)。どんな先生であり続けたい?
濱下:もちろん、授業が分かりやすく、勉強が楽しくなる授業をしたいです。父と母に言われた、「あんたが世話になった鷗州に恩返ししんさい!あんたがしてもらったことを、今度はあんたが生徒さんにしてあげんさい!」この言葉とその時の両親の表情が頭の中にこびりついています。なので僕も、生徒全員を常に気にかけ、生徒自らがヤル気になるクラスの雰囲気や校舎の雰囲気、文化を創り上げたいんです。先生たちと同じように、生徒たちの【応援団】【兄貴】【監督】であり続けたいんです!
先生:うんうん(笑顔)
濱下:僕は塾の先生になって生き返りました!自分が少しでも役に立てるんだって。卒業しても連絡をくれたり、会いにきてくれる生徒たちや…、教えることが好きで、生徒たちのことが好きで、生徒たちに喜んでもらえることが自分の喜びで…。塾の先生は自分の天職です!ずっと生徒たちの最強の応援団でいたいです!
先生:濱ちゃん、この世は終わったかい?
濱下:先生、この世と生徒たちは最高です!
2人:笑顔笑顔笑顔笑顔(特に濱ちゃん、大きな顔で笑顔)
濱下くんは、現在自分の給料の中から「毎月5万円」をご両親に渡しています。そしてこの1年間、お父様と一緒に自宅の建築をしています。
濱下くんが手伝えるのは休みの日なので、工事ははかどらず、完成まであと1年くらいかかりそうです。
建築費用等々は濱下くんが貯金をはたき、ローンを組んで調達しました。
【先生より】
濱ちゃん、そんなことができる息子さんは、なかなかおらんよ!
先生は、濱ちゃんを本当に尊敬します!
濱ちゃんは、必要な“遠回り”をしたんよ!(笑顔)
先生も濱ちゃんの一生の応援団でいます!ありがとう!
[約束していた「オープンカーでのドライブ」]