FOR GRADUATES

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INTERVIEW

『中3の時の頑張りが、今でも僕を支えています!』

『中3の時の頑張りが、今でも僕を支えています!』

【上土井くんの通塾履歴
小4~小6:「〇〇塾」に通塾。
中学入試:広島学院・広大附属は思うようにならず。修道中学“補欠合格”。阿戸小学校 ⇒ 阿戸中学校に進学 。
中1~中3:1時間かけて、鷗州塾呉校に通塾。
高校入試:広大附属・修道高校合格 ⇒ 修道高校に進学 。
高1~高3:鷗州ハイスクール広島校に通塾 。
九州大学法学部に現役で進学。その後、某私立大学ロースクールで3年間勉強。
司法試験合格後、3年3か月、山下江法律事務所勤務。
2013年3月、独立し「上土井・山本法律事務所」開設。

先生:いやあ、上土井ちゃんとお酒が飲めるなんて嬉しいねぇ(笑顔)。

上土井:先生にはすごくお世話になって、センター試験の前にも激励のお電話を戴いて…。何度か呉の校舎にも行ったんですよ。でも、いつもいらっしゃらなくて。なので、この前15年ぶりにお見かけした時には、仕事中だったけど、思わず「先生!!!」と声を上げてしまいました(笑顔)。

先生:ありがとう!上土井ちゃんは、高校入試で修道高校にリベンジを果たしたよねぇ!

上土井:中学入試の時は、あまり“中学に進学したいから受験する”という感覚がなかったんですが、やっぱり不合格だった時はショックでした。特に修道中学は中途半端な“補欠合格”…。これが逆に良かったと思います。凄い悔しかったです!負けず嫌いな心に火がつきました。それで高校入試で入ってやる!と思って、鷗州塾に入塾しました。

先生: 週3回、片道1時間かけてよく通ってくれたねえ(笑顔)。お母さんも、毎回授業後に迎えに来られてたよねぇ。ほんまにありがとう!

上土井:いやいや、先生、本当にありがとうございました。先生たちの授業はとても楽しく、為になりました。おかげで高校も全部合格できたんです。先生、中3の時は僕、週5回は行ってましたよ(笑)。

先生:そうか、そうか!入試的中ゼミが始まると、当時は週4回になったよねぇ。それに上土井ちゃんは“コピーマン”(笑)。塾がない日もやってきて、先生の問題集や入試問題を友達の分もコピーして勉強してたねぇ(笑顔)。

上土井:先生、塾に行くのが楽しくて。勉強って面白い!と思いました。それにクラスの雰囲気。みんなで一緒に頑張りましたよねぇ(笑顔)。

先生:上土井ちゃんの、将来の夢は【鷗州塾の先生】だったねぇ(笑顔)。

上土井:はい、先生(笑顔)。なので九州大学を卒業した後で、福岡で3年間塾の講師をしていました。実質的に全運営を任されていたので、教科の指導だけでなく、保護者との面談までしてましたよ。気づいたら、いつも展開や説明が、先生や山中先生になっていました(笑)。凄く充実した3年間でした。鷗州コーポレーションへの入社も考えてたんですよ。だけど、大学の時から授業していた塾にそのまま勤めました。そこの塾の生徒たちがみんな大好きで、凄く愛着がわいたんです(笑顔)。

先生:なんで弁護士なん???

上土井:人に何かを理解してもらったり、納得してもらうことって楽しいと感じたんです。教えた生徒が「分かった!」という顔をしたり、ぐんぐん成績が伸びていくのを見ると嬉しくなりました。弁護士は、大学4年の時に多少は意識していました。本気で考えていなかったので、その時はまったく勉強していなかったですけど。ちょうど26歳になる年が、先生もご存知のように“司法試験制度が変わるまさにその時”で、ロースクール制度ができました。塾の講師をする中で、人に何かを説明・説得し、喜んでもらうのは弁護士も共通なのではないかと思いました。それで受験して、○○大学のロースクールに入学しました。僕が辞めた後しばらくして、勤めていた塾はなくなってしまいましたが…。

先生:ロースクールには、なかなか入れないよねぇ…。九大の法学部も、上土井ちゃんが受験の時は、合格のボーダーが高かったよねぇ…。

上土井:はい。先生がいつも言われてたように、大学は、現役で進学したかったんです。ところが、よりによってセンター試験当日にインフルエンザにかかってしまい、2日間とも39度以上熱が出て、試験は散々でした…。それで、受験校は二次試験の比率が高い九大に絞りました。センター試験は、自己採点で634点(800点満点)でした…。その時の九大法学部のボーダーは、確か720点前後でした。センターリサーチ(全国の受験生が自己採点結果で合格可能性を判断する仕組み)では、九大法学部志願者の中でどべから二番目でした…。

先生:ほおお…。

上土井:二次試験の記述問題には自信がありました。実際「できた!」という感触でした。それで、何とか合格できました(笑顔)。

先生:ロースクールは、どうだった?かなり勉強したんじゃない?

上土井:3年間はひらすら勉強しました。朝8時に学校へ行って、家に帰るのは毎日夜の12時過ぎ…。そして、寝るのが2時。この繰り返しです。ロースクールの授業料は、1年間で150万かかりました(当時補助金が50万円出ていました)。両親には、凄く感謝しています。この3年間は、楽しい思い出はあまりないですねぇ。同じ目的の仲間が40人いて、彼らの存在があったのが励みになりました。

先生:凄いねぇ…。不安とか、無かった?

上土井:凄くありました!新しい司法試験は【3回しか】受験できないんです。僕は、1回目の司法試験は不合格でした。915点が合格点だったと思うんですが、906点でした…。友達があきらめて就職していく中で、先の見えない不安を感じました。でも、やるしかないですよね。自分が選んだんです。先生がいつもおっしゃっていた、【競争相手は自分自身】なんですよ。踏ん張りました。2回目は、合格点を大きく上回って合格しました(笑顔)!

先生:よく頑張ったねえ(笑顔)。

上土井:先生、鷗州塾のおかげですよ(笑顔)。

先生:鷗州の?

上土井:先生、僕は中3の時が一番濃密な時間を過ごせたと思っています。僕にとっての大きな財産なんです。塾に行き、中学がばらばらの塾の仲間と、明るく助け合いながら競い合って。あのクラスで学べたことが、僕の姿勢を決めました。だから、先生のように塾の先生になりたい!って思ったんです。先生が話されたことは、今でも僕の中で生きています。特に最後の授業で話されたことは完全に覚えています(笑顔)。自分の才覚でできることをやりたかったんです。

先生:嬉しいねぇ(笑顔)。2回目のチャレンジで司法試験に合格した時は、どうだった?

上土井:検察庁の掲示板に名前を見つけた時は、魂が抜けました…。燃え尽きたというか、やり尽くした、やり切ったんだと…。もっと「やった〜!」みたいなのを想像していたんですが、本気でやった後は、魂が抜けるんだと初めて知りました(笑顔)。

先生:うんうん(笑顔)。今後は?

上土井:司法試験に合格して、修習(弁護士事務所などで実地に学ぶ)が終了した後で、最後の試験があります。それに合格したら、12月から山下江法律事務所で働きます。

先生:弁護士になってからのビジョンは?

上土井:目の前に困った人がいたら、とにかく助けたいです。そして、 3年後に独立したいです。自分の事務所を大きくしたいです。大きくできれば、それだけ多くの人の手助けができるからなんです(笑顔)。

先生:上土井ちゃんにとって、中学入試の意味は?

上土井:悔しさは、大きな原動力になりました!

先生:鷗州に通った意味は?

上土井:中3の時が、一番勉強が楽しかったです。先生と山中先生にめぐり合えて、あのクラスの仲間と知り合えたことです。もちろん、為になったし、勉強を通じて、さまざまなことを学べました。自分に負けないこと!すべてを楽しむこと…。僕の原点です。

先生:後輩塾生にメッセージを!

上土井:目先にとらわれずに、遠くを…到達したいところを見てください(真剣)!

先生:ありがとう!よし、上土井ちゃん、先生のオープンカーでドライブしよう!

上土井:はい!先生!楽しみです!(笑顔)

2人:笑顔・笑顔・笑顔

法律事務所にて(2013年4月8日)

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